半導体受託製造(ファウンドリー)世界最大手で、時価総額4300億ドル(約55兆円)を誇る台湾積体電路製造(TSMC)は、世界で最も危険な地政学的火種を抱える国や地域をまたにかけて事業を展開している。そうした大変な状況にもかかわらず、冷静さを失うことがない同社には好感さえ覚える。
TSMCが誇る比類なき先端半導体の製造能力は米国と中国双方の垂ぜんの的だ。同社による半導体の供給量は米国向けが中国向けを大きく上回るが、米中のいずれかが経済的圧力か軍事力によってその独立性を完全に奪えば、世界に与えるその影響は甚大なものになるだろう。
同社の工場の多くは台湾西岸にあるため、中国が台湾海峡を経て侵略してくる危険に常にさらされている。だが同社がうろたえることはない。
「もし戦争が勃発したら半導体のことを心配していればいいなどという事態ではなくなる」と91歳のTSMC創業者、張忠謀(モリス・チャン)氏は2022年、ある音声番組ポッドキャストでこう述べた。彼の後継者で同社董事長の劉徳音(マーク・リュウ)氏は、誰にとっても平和が一番だと強調する。
地政学的に柔軟な対応とるのがビジネス的にも有利との判断
そんなにのんきなことでは甘いと思うかもしれない。半導体を巡る超大国間の対立は冷戦期の「鉄のカーテン」ならぬ「シリコンカーテン」とも呼ばれ、この数カ月は激しさを増している。
中国は半導体産業を一から育てようと長年取り組んできたが、成果はあまり上がっていない。米国は22年に中国の野望をくじこうと人工知能(AI)向け半導体の設計から半導体ソフトウエア、半導体製造装置など半導体製造に不可欠な重要技術に関する規制を強化した。同年に成立・施行された半導体補助金法により既に約2000億ドルもの半導体関連投資も米国に呼び込んだ。TSMCの競合でかつ顧客でもある米半導体大手のインテルは、同法の恩恵を最も受けた企業の一つだ。
TSMCは米国からのラブコールに応じて米陣営に加わったかにみえる。バイデン米大統領は昨年12月、同社が米国アリゾナ州フェニックスに建設中の巨大な半導体製造工場の前に立ち、同社が総額400億ドルを投資すると発表したことに歓迎の意を表した。
ただ、同社をよくみると地政学的にやっかいな事態にどう対処すべきか教訓を与えてくれる。TSMCは一部の見方とは異なり、米中新冷戦によって台湾との決別を強いられているわけではない。同社の台湾の工場は、今も世界で使われる最先端半導体の75%以上を生産している。
同社は競争上の強みを維持するのに必要なキャッシュフローを確保すべく、自社の利益率を悪化させるようなことはしないということだ。それでもTSMCは長期的に考えると地政学上、柔軟な対応をとることがビジネスに有利に働くと考えているようだ。つまり、ビジネスの利益を最優先するために極めて高度な外交も展開しているのだ。
米工場新設は台湾からの製造拠点移転が狙いではない
TSMCが事業拠点を台湾から海外に移してしまうのではないかと懸念している人々にとって、フェニックス工場の建設は、その証拠に思える。砂漠の中に何マイルにも広がる同工場の敷地は、まるで神殿を思わせる規模だ。
そこで24年からスマホやサーバーの頭脳となる回路線幅4ナノ(ナノは10億分の1)メートルの半導体の生産を始める。インテルより先に実現できたら米国産の半導体としては史上最も高度なものとなる。
TSMCによると400億ドルの投資の大部分は、26年からさらに最先端の半導体の生産を開始する予定の第2工場の建設に充てられる。フェニックス工場の最大の顧客は米アップルとなる見込みだ。
米国以外でもソニーグループのために日本で初の半導体工場を建設予定だ。こうした動きは生産拠点を顧客企業近くに移す戦略のようにみえるが、台湾に住む人からはTSMCが台湾を見捨てるのではないかとの疑念を招く。
だが米調査会社ニュー・ストリート・リサーチのアナリスト、ピエール・フェラグ氏はそれは「まったくの見当違いだ」と反論する。TSMCはアリゾナとほぼ同時期に台湾でも新工場の建設を進めており、しかもそれらの生産能力はアリゾナで建設中の2つの新工場の4倍に達するうえ、より先端の半導体を生産することになるからだ。
いわば長期的な保険という位置づけ
米国への大規模投資は急な戦略転換をしたというより長期的な保険という意味合いが強い。米国に生産拠点を持つことで、人材と各種サプライヤーを確保するという難しい課題に着手することが可能になる。これで「中国が台湾爆撃という信じがたい行動に出た場合」に備えた拠点拡大への準備になる。ただ、当面は研究開発の大部分と生産能力の少なくとも8割は台湾にとどまることになりそうだ。
では利益はどうか。これには2つの側面がある。第1は米国では米政府から巨額の補助金を得たとはいえ、それでも米国での生産コストは極めて高く、そのため米事業は赤字に陥る可能性がある。だがTSMCは米国との友好関係を維持するために赤字に耐えるだろうと懸念されている。
第2は、補助金がライバルのインテルを利する懸念だ。インテルが半導体トップの座をTSMCに奪われて何年もたつが、インテルは以来、トップの座を奪還しようと米国は同社を支援すべきだという半導体ナショナリズムを訴えてきた。
TSMCが1月12日に発表した22年10〜12月期決算では、こうした懸念の一部は払拭された。同社によれば米国での半導体工場の建設コストが台湾の5倍までなら、自分たちが使う半導体が米国製であることを希望する顧客企業はそれだけ高い対価を払うためTSMCの利益は守られるとの見解を示したからだ。
TSMCが半導体の需給サイクルに左右されない理由
加えて世界の半導体市場は需要の減退するサイクルに入っているにもかかわらず、TSMCはインテルなど競合に比べシェアを拡大している。半導体業界のコンサルタント、マルコム・ペン氏が言うように同社の半導体製造技術は他社の追随を許すことなく最先端を維持しているため、同社の最先端商品は常に供給不足が続く見込みだという。
ある意味、TSMCはバイデン政権にうまく取り入っている。アリゾナ工場は米国の半導体安全保障問題を解決できないかもしれない。それでも少なくともバイデン氏が重視する製造業の良質な雇用(組合はつくらないなど)をある程度提供することにはなるからだ。
つまり同社は自社の将来にとり長期的に保険となる体制を築きつつあるのだ。同社は最先端の半導体は一層複雑になり、生産コストは上昇していくし、世界経済のデジタル化が進むほどその利用は増えていくとみている。
そうなればTSMCはいずれ、人口が減少している台湾では対応しきれなくなるかもしれない。その場合、米国を筆頭に世界の優秀な頭脳を集めることが死活問題となる。
現在、世界の半導体市場では供給の過剰が問題となっているが、TSMCの海外投資はこの問題を悪化させるだろうか。ペン氏は「ノー」と言う。半導体需要は年平均8%で拡大している。市況に合わせて投資を調整できるなら、将来に向け計画を練るのは理にかなっている。
だが、より重要なのは米国とその同盟諸国が中国への規制をどこまで強化するかだ。TSMCは中国内で使われる主流の半導体は南京工場で製造している。
同社は、米中が冷静さを維持し、対立を決定的に深めることはないとみている。それが正しいと判明するかもしれない。しかし、仮に間違っていたとしても、同社は少なくとも長期的な視点からあらゆるリスクに備え始めたということだ。
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