最悪のスタグフレーションシナリオも想定せよ
大波乱となっている2022年も「後半戦」となり、7月もすでに下旬にさしかかった。アメリカの株式市場のパフォーマンスは惨憺たる内容で、代表的な指標であるS&P500種指数は高値からの下落率が約17%(7月22日時点)となっている。7月FOMC以降、残された今年はどのような相場展開となるのだろうか。
企業の過剰在庫が景気を一段と悪化させる懸念
インフレに関しては、今のところ沈静化の兆候は見えていない。7月13日に発表された6月の消費者物価指数は前年比+9.1%という、予想を上回る伸びとなったことで、今週26~27日開催のFOMC(アメリカ連邦公開市場委員会)では、6月に続き0.75%の利上げがほぼ決定的だ。
一方、これだけ積極的に金融引き締めを進めていけば、経済活動の減速やそれに伴う需要の落ち込みで物価上昇のペースも鈍る可能性もある。ただ、それは必ずしも市場にとってプラスに作用するわけではない。7月に入って一時的にインフレ沈静化期待から株価が上昇したが、今後は大幅利上げの「副作用」として、景気の落ち込みに対する懸念が再度浮上、新たな売りを呼び込むようになると考えておいたほうがよい。
そうした中、今回は「在庫」をキーワードに、今後の見通しを考えてみたい。在庫動向は現時点で誰もが注目するというところまでは行っていない。だが、今後景気の動向を作用するうえで、非常に重要な要素となるのは間違いない。カギとなるのは、「企業の過剰在庫問題」「住宅ストックの積み上がり」「戦略備蓄原油」の3点だ。
まず、企業の過剰在庫は、以下の2つの点で景気の大きな押し下げ要因になると考えられる。1つ目は、小売業の過剰在庫処分に伴う収益の悪化である。新型コロナウイルスの感染爆発によってサプライチェーンの問題が深刻化して以降、小売業界は品切れ状態を回避するべく、ここまで積極的に在庫を積み上げてきた。
企業在庫は前年同月比で17.7%も増加
だが、今年に入って消費が減速してきており、積み上げた在庫が不良債権化、どの企業も在庫処分が喫緊の課題となりつつある。
もしこうした不良在庫を処分するために価格を引き下げざるをえなくなれば、当然ながら売上高はともかく利益は大幅に減少、業績悪化につながる。6月に小売り大手のターゲットが過剰在庫から業績見通しを引き下げ、一時は小売業を中心に株式市場全体に売りが加速する展開になったことはまだ記憶に新しい。
今や企業在庫は前月比では2021年4月から2022年5月まで1年以上にわたって連続して増加、2022年5月は前年同月比で17.7%増えた。大幅な利上げで経済活動が鈍化しているときに在庫放出が重なれば、アメリカ経済が再度マイナス成長に陥ることもありうる。
当然、この裏返しとして、在庫の積み増し需要が急速に減少するのだから、今後数四半期は景気の大きな押し下げ要因となる可能性にも十分な注意が必要だ。アメリカ経済における在庫投資の実質国内総生産(GDP)に対する寄与度は、2021年7~9月期に2.2%のプラス、同10~12月期には5.3%のプラスとなり、昨年後半の経済成長加速の原動力となった。
だが、2022年1~3月期には一転して0.4%のマイナスと、逆に経済成長の足枷になりつつある。在庫の積み増しが急速に進んでいるときには、実際の経済活動以上に需要が生じてその分GDP押し上げに寄与していた。だが過剰在庫の解消局面では、需要は在庫放出で賄えることになるため、新規需要は思った以上に落ち込んでしまう。
また、住宅ストックの積み上がりにも、十分な注意が必要だ。住宅ローン金利の上昇が足枷となり、住宅販売のペースは目に見えて鈍っている。こうした中、完成した住宅の在庫はジワジワと増加してきている。住宅価格はなお高止まりを続けている。だが、この先ストックが一段と積み上がる
なら、住宅業者や売り手の間に「価格を引き下げてでも販売しよう」という動きが出てくる可能性は高い。
今のところ、住宅市場に関しては、2008年のリーマンショックのときほど状況は深刻ではないとの見方が大勢を占めている。だが、住宅価格の下落が顕著になってくれば、資産効果が消滅する中で、当然のことながら、景気や株価にさらなる悪影響を及ぼす恐れが高く、十分な注意が必要だ。
一方でこうした動きは、もちろん消費者物価を押し下げる効果もある。景気が一段と落ち込むことと引き換えに、インフレが思った以上に早く沈静化に向かっても不思議ではない。インフレ圧力が明確に後退すれば、FRB(アメリカ連邦準備制度理事会)が再び金融緩和に転じるとの期待が浮上してくることも考えられる。万一、住宅市場が大きく崩れれば、経済全体に対する痛みも大きくなるが、金融危機などに発展しない限り、立ち直りも早くなるかもしれない。
原油価格が再度急騰すれば事態はさらに深刻に
企業や住宅の在庫水準のリスクをとりあげたが、実は3つ目として着目した戦略備蓄原油の在庫水準がもっとも深刻かもしれない。アメリカのバイデン政権は、国際エネルギー機関(IEA)に加盟する他国を巻き込みながら備蓄原油を取り崩してきた。これが今後、インフレ沈静化の期待を打ち砕くばかりか、事態をさらに深刻化させてしまうシナリオを認識しておくべきだ。
現在、アメリカでは日量100万バレルもの大量の原油が民間市場に流れ込んできている。実際、足元の需給はこれによってかなり緩和されていると思われる。だが、残念ながら指標となるWTI原油の価格は、ようやく1バレル=100ドル台を割り込んだ程度でなお高価格を維持しており、価格押し下げ効果はかなり限定的だ。今回の備蓄放出は10月までの予定だが、その後は一体どうなるのだろうか。
もし今のペースで備蓄放出が進められるなら、アメリカの戦略備蓄の量は10月には4億バレルを下回る。これはなんと、1984年以来の低い水準であり、エネルギー安全保障上の点からも問題が大きいと指摘されている。
戦略備蓄の放出分が止まれば、本格的な暖房需要期の到来に向けて、市中の原油在庫は再び取り崩し傾向が強まり、それだけで相場の新たな押し上げ要因となる。しかも、ここまで戦略備蓄が減ると、今後もし供給面で何らかの大きな問題が生じた場合、備蓄放出による対処がいよいよ難しくなる。
一方、過去10年に渡る投資不足の影響で、OPEC(石油輸出国機構)などの産油国の生産余力も極端に細っている。また、サウジアラビアなど産油国の油田や石油施設に対する攻撃や、産油国そのものの政情不安、さらには大型ハリケーンのメキシコ湾岸上の油田直撃など、多くのリスクが常に横たわっている。もしこうした突発的な供給不安が起きた場合、今はそれに対処する手段がほとんどなくなっているというのが現状だ。
11月8日の中間選挙を控え、ガソリン価格やインフレの抑制に躍起になっているバイデン政権は、今のところは原油備蓄の取り崩しは既定路線であり、聞く耳など持たないだろう。
だが、中間選挙後は逆にこうした問題に対する批判が大きくなり、逆に備蓄の再積み増しを迫られることもありうる。これらはすべて原油相場にとって大きな買い材料だ。
もしいったん将来的な供給不安が高まれば、WTI原油価格が1バレル=147ドルの史上最高値を上抜けてさらに急騰することも、十分にありうる。その場合は「景気が落ち込むことでインフレが鎮静化する」というシナリオも完全に消えるだけでなく、アメリカを中心に世界が本格的なスタグフレーション(不況期の物価高)に陥るリスクが台頭することになりそうだ。
松本英毅
出典:東洋経済オンライン